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My 4cat & Drinkin muddy water

再入所

7月8日 やっと退院して、別の施設に入所。

もともとこちらに入所予定だったが、コロナが発生したために受け入れ中断となり、

5月に入所した施設に一旦仮入所していた。

入る予定の施設よりもかなりアップグレードな施設だったが、結局ほとんど入院していた。

まあ、仕方ないよね。

 

ご飯はちゃんと食べているらしい。

甘いものが食べたいとおやつも所望したと聞いた。

リハビリは嫌がることも多いという。少しづつ。

まだ他の入居者との交流まではできてないらしい。

人らしい生活がちょっとでも戻ってくれれば嬉しい。

7月25日に面会予定。父を連れていく。

急変

施設に入れたところで少しは落ち着くかと思ったが、とんでもなかった。

昨日5/22、1週間ぶりに出社。15時頃早退し、病院に入院手続きに行ってきた。

 

5/21昼食後に痰が絡み始め、血液中の酸素飽和度が下降。

最下限92%に対して、80%台に。

急ぎ吸引したところ、食べ物のカスが大量に出てきた。

それでも飽和度下がらず、もう一度吸引したらさらにカスが出てくる。

本人も息苦しいと訴え。

熱はないが、病院に救急搬送。左右の肺に陰りあり。

誤嚥性肺炎と診断。CTでは、広範囲に白い影があり。かなり立派な肺炎とのこと。

酸素飽和状態の悪化は21日の昼食後から急に始まったとのこと。

それまで肺炎だったかは分からない。症状は全くなかった。

人工呼吸を3ℓいれて、飽和度が91→98に復活。

22日は1ℓ入れて、99と安定している。

新型コロナではないとは思うが、可能性は否定はできない。

そのため、隔離病棟の個室に入ってもらった。

PCR検査済み。来週には結果が出る。

ふつうの肺炎だったとして、退院まで2~3週間はかかる。

食事を止め、点滴で抗生物質を投与する。

抗生物質が最初から効けば2週間+リハビリ。

但し、入院も長かったし、老人ホームにいて、耐性菌が入っている可能性もある。

合う薬を探して、見つければよいが、見つからない場合は、死に至る。

回付すればまた嚥下のリハビリを始める。

以前も食べなかったということで廃用が始まっている。

どこまで戻るか。前のように食べれなくなることもある。

また食べるようになれば、また誤嚥も起こる、肺炎を繰り返す。

もし食べれなくなったら、経管栄養または中心静脈栄養をしてもらうことになる。

経管栄養は胃管か胃瘻。もしくはもうなにもいれないという選択肢もある。

 

先日のPCRが陰性だったとしても、油断はできない。

PCRは70%しか分からない。陽性なのに陰性と出る患者が30%はいる。

何度か検査して、陰性が続けば隔離病棟から準隔離病棟に移ってもらう。

準隔離から不通に移れるのはさらに1週間かかるだろう。

結局1か月くらい入院にしてもらうことになるだろう。

また陽性だった場合は当病院では診れないので、感染者指定病院に移ってもらう。

その場合は、TVでよく言っている様に、死に目には会えない。

 

原因は分からないが肝臓の数値も急に上がっている。

GOT254(基準値7~38 IU/L)、GPT227(基準値4~44 IU/L)。

低酸素状態が続くと肝臓が悪くなる場合がある。

そうやって多臓器不全になることもある。

 

健康な89歳と比べるとかなり弱っている。

急変して亡くなる可能性もある。

いつでも連絡が付くように、しておいてほしい。

続・施設話

・入院前は全く食事をとらないと父がぼやいていたが、施設では毎食パクパク食べているらしい。

・おやつも!

・日々集会室のようなところで車いすにちょこんと座ってニコニコしている。

・夜もよく寝ている。病室の4日間からは信じられない。

・トイレは昼間連れて行ってもらっているらしい。夜はおむつ。

・取っ手付きのコップを明日持って行く。

・コロナで会えないけど、次に会った時に元気だと嬉しい。

いろいろあったので

89歳の母を施設に入れることになった。

久しぶりにメモっておく。

 

2/27 感染予防対応が社内に発令。時差出勤、不要不急の出張禁止など

3/10(火) 在宅勤務 実家訪問(銀のさら

3/11(水) 名古屋支社社員に、家族に発症者あり。名古屋支社封鎖。

3/12(木) 母の検査入院に付き添い。病院泊。

夕食は勝田台駅の立ち食いソバ。深夜おにぎりで過ごす。休肝日。

母は10分おきにトイレに行く。強迫観念か。23時過ぎに静かになる。深夜まで年度方針資料の作成。

3/13(金) 誕生日。休暇。この日も付き添い。病院泊。

朝パン、昼過ぎに徒歩10分のコンビニの駐車場で、カツサンドと唐揚げ、ビール。

夜中におにぎり。

この日から母が静かになっていく。こちらは母の様子を見ながら同じく深夜まで資料作成。この日からおむつ着用。

3/14(土) この日は父に任せる予定が、紆余曲折あり、病院泊。

朝から検査の予定だったが腸内洗浄がうまくいかず、失敗。この際に浣腸。

このあたりから母が硬直し動かなくなっていく。午後父に任せ。帰宅。

勝田台の日高屋で遅い昼飯とレモンサワー。

夜、一日遅れの誕生日で、しゃぶしゃぶへ。

会食中に病院から電話あり、高齢の父の付き添いを拒否される。

病院に急ぎ戻り。23時頃、病院に到着し、付き添い再開。

3/15(日) 終日付き添いしながら、資料作成。病院泊

朝は父の置いて行ったオニギリ、昼パン祭、夜パン祭、休肝

母の硬直はなかなか戻らない。意識も朦朧。

3/16(月) 午前半休。検察付き添い。今回は無事終了。

午後、実家にて、オンライン会議。方針事前説明、AZとのMTG等。夕方帰宅。

3/17(火) 出社。夕方みんかいに老人ホーム相談。

3/18(水) 脳梗塞を起こした場所に出血あり、東京女子医大に緊急搬送。

3/19(木) 父が見舞いに行く。話を聞くが要領得ない。

3/20(金) 父と墨田区の施設見学。

3/21(土) 東京女子医大ICUに見舞い。想像以上に元気そうでほっとする。菊富士に寄って一杯やって帰る。

3/23(火) ICUを出て、以前いた病院へ転院。

3/27(金) 3/25小池百合子知事の緊急記者会見を踏まえ、会社も在宅勤務に。 

午後半休し、実家にて、父の要支援認定立ち合い。

4/02(木) 母の要介護認定付き添い。

4/03(金) 施設の件でみんかい再訪

4/06(火) 在宅勤務開始

4/11(土) 病院。病状確認。

4/17(金) 病院の相談役Wさんから電話。退院の許可。早めに施設に入れないと認知が進むとのこと。

4/19(日) 以前見学した施設がコロナのため入所できず、関連施設へ見学

4/23(木) 介護認可降りる。母は要介護1から要介護5へ。父も要支援2。父は降りない自信があったのでショックを受けている。

4/24(金) 施設から電話。入所日について、GW前かGW明けかの相談

5/01(金) 病院へ母の状況を聞きに行く。

5/06(祝) 必要なモノを施設にお届け。

5/07(祝) 文京区に入所させる

 

2月29日 小満ん・喬太郎の会@銀座ブロッサム



一.元犬/柳亭市也
一.雪とん/柳家小満ん
一.竹の水仙柳家喬太郎
仲入り
一.稲葉さんの大冒険/柳家喬太郎
一.素人鰻/柳家小満ん


朝から大雪。東北に出張に来たのかと思うくらい。
夕方にはやみ、渋谷から新富町へ直行。
小満ん師は初見。


小満ん師匠と出来るなんて」と喬太郎師。
慮ってか、「竹の水仙」がおとなしい。
「番匠じゃ」
「違うそれはバンジョーだ。これは古典だ」
のくだりも今日はない。


その代わり(?)仲入り後はハジける。
「せっかくの竹の水仙が台無しじゃ」(爆笑)


小満ん師は相方にはしんどかったようだ。
私は江戸落語を堪能できて満足。